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第75回 「自給住宅」と食べ物

食べ物の自給

 今、天然住宅で作ろうとしているモデルは「自給可能な住宅」だ。実際にぼくが実験しているように、エネルギーを自給し水を自給し、他からエネルギーをもらわなくても足りる住宅モデルが必要だと思うからだ。イスラエルの会社の作った生ゴミから燃料用のガスを生み出す装置が加わるなら、おカネがなくても生存に困らない住宅が可能だ。しかしそれでも困ることがある。食べ物だ。食べ物が手に入らないとしたら、生存し続けることができなくなってしまう。

 経済が不安定になり、GDPで見ても生産量で見ても日本という国は縮小を続けている。「縮小する経済」の中でどう生きればいいのかが今後の日本のテーマだと思う。英語でいうなら「シュリンク・エコノミー」だ。中でも大きいのが「食べ物」の問題だと思う。

映画「この世界の片隅で」

 「だから農業して自立して」と考えがちだが、農業は仕事を辞めればできるようになるわけではない。ではぼくなりに考えるとしたら、どうしたらいいだろうか。

 「食」はただ食べることを意味しない。隣の椅子に誰が座っていて、どんな話をしながら何を考えて、というシーンの全体が「食」なのだ。貧しくなったときに何をどう食べるかも重要だ。「この世界の片隅で」というアニメ映画がとても良かったのは、たとえ戦時中であっても人々は笑い、近くにあるものを分け合って食べ、普通の暮らしをしているものなのだと知らせたことだ。そう、食べることは生活の大きな一コマなのだ。

 栄養的にいうならこれを食べればいいというような「錠剤」だって作れるだろう。そうではなく、食べることのシーンが大切なのだ。

「自給住宅」を

 我が家では良い炊飯器を購入したことで、玄米をとても美味しく食べることができるようになった。そしてコメは、以前勤めていた時の無二の親友が新潟で作ってくれている。そこから玄米を仕入れる。そして玄米は栄養的には完全栄養と言われるほど、必要な微量ミネラルを含んでいる。ただし十分な量ではないから補食が必要で、熱を加えるからビタミンCだけは失われている。それだけは補う必要があるが、大量には必要ない。要は一汁一菜で足りるのだ。

 その一汁一菜の野菜は庭の家庭菜園で採れるようにした。周囲の人たちとの交換でも得られる仕組みを作った。作ってみると、最低限の「食」を確保するのは難しいことではなかった。金儲けのために需給の関係から儲けようとするから、回ってこなくなるだけだと思う。

 食べ物に困らなくなると、とても気持ちが安らぐ。少なくとも餓死する心配はないのだ。健全な野菜を入手できるなら、今問題になっている「新型栄養失調」の心配もない。そのステージとして「自給住宅」を考えたい。庭は三坪もあれば必要な野菜は作れるだろう。そして八畳一間の屋根の広さがあれば3キロワットの太陽光発電パネルも置ける。そんなモデルになる住宅を作ろう。なるべく低価格で。天然住宅では常に新たなチャレンジを続けている。それが天然住宅の良いところだと思うのだ。
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