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第17回 住宅貧乏

デンマークの街角

住宅貧乏 デンマークの街角
ぼくがデンマークを訪ねたときのこと、テレビのクイズ番組で出題されていた古い建物の上に伸びている鉄棒を見て、「本当にあるんだ」と思った。古いビルでは階段が狭くて、家具を持ち上げられないから、その棒にロープを掛けて器具をつるし上げる、が正解だった気がする。気になっていつ建てられた建物なのか聞いてみた。「ウチは400年前、隣は500年前かな」というのが返事だった。

これだけ古いともちろん建てたときのローンなんか残っていない。それでも家賃はいっちょまえに取るのだから、この建物は明らかな資産だ。しかも新築されたビルの家賃とは違うから、社会資産となっている。自分の欲のために建てたとしても社会資産になる。これが本来の資産の形ではないか。

街角で不思議なものを見た。建物の外側が残されたまま、内側だけを建替えている工事現場だ。解体なのか建築なのかと不思議に思って覗き込んでみたのだ。欧州ではよくあるのだそうだ。建物の内側だけ変えるという工事が。費用がかさむだろうにそんなことをする。
呆気に取られたのはポーランドの街並みだ。ナチスドイツに爆撃されて破壊された町並みを、人々の記憶や写真を頼りに、すべてもう一度細部にわたって忠実に建て直していたのだ。このこだわりが欧州の文化のバックボーンだろう。

一生かけたゴミづくり

一方の日本は悲しい状況にある。せっかく家を建てても、15年経たずに資産価値がゼロになる。土地が高いので土地価格だけの価値になるが、そのためには邪魔な上物(建物のこと)を解体した方が高く売れる。建物は負債なのだ。そのおかげで建物は30年経たずに解体される。少し前に調べたときには平均で26年で解体されるとあった。しかも男が住宅ローンを組む平均年齢が34歳だった。ということは、34歳で家を建てて60歳で解体、退職金で再度家を建てて人生が終わるころに家も壊されることになる。つまり日本の平均的な男は、家を建てて壊して再度建てるためにだけ生きているようなものだ。建てる前は頭金をせっせと積み、建ててからはずっと住宅ローンに追われるのだから。

家が資産になっていない。賃貸住宅の家賃が高いから、場合によってはかろうじて持ち家の方が安くなることがある程度だ。しかしそこによく使われるスギ・ヒノキは、伐採したときの強度より建ててからの方が強度が高くなる。強度が上がっていくのは日本の針葉樹の特徴だ。約300年後に最大の強度となり、そこから強度が下がっていく。強度が伐採した直後まで落ちていくのに1000年もかかる。伐採した時点の強度を基準としても、1300年は使えるのだ。それをわずか26年ほどで使い捨てる。

しかも住宅解体のゴミは、人生最大の量だ。どんなにリサイクルに努力していたとしても、ハウスメーカーの住宅を建てた時点で落第となってしまう。

脱・住宅貧乏

天然住宅では長持ちする住宅しか建てない。地面に打つコンクリートから違う。300年は耐えられる強度で打つ。資源浪費の住宅を建てていたのでは、地球を今の状態に保存することすらできないからだ。

今ハウスメーカーが使う木材は外材が多い。ベイツガ、ベイマツ、ホワイトウッドなどだ。それらは育った環境が違うので、一様にシロアリに食われやすい。それがために人体にとても有害な防蟻材使うことになる。さらに接着剤やベニヤ板を多用するので、シックハウス症候群になることが多い。これが本当に『安い』のだろうか。

資産価値は今の基準では測れない。駅や学校、病院などからの距離ばかりが目安になり、家そのものの健康さ、長寿命、健全な素材供給(フェアな購入価格)を顧みない。このままでは社会資本が形成されずに社会は劣化していく。今、あちこちで寿命が来てしまった道路・橋・コンクリート建造物は、資産ではなく将来世代の負債になっている。

だから天然住宅は私たちが独占すべきものではない。社会の中の当たり前の基準となるべきだ。そう考えて、天然住宅は各地の工務店で建てられるように技術を広げている。住宅を建てるときには、誰しもが子どものことを考えるだろう。その子が使うようになるなら、子どもの世代には住宅ローン負担はいらなくなる。子の世代は『住宅貧乏』から脱することができるのだ。

住宅貧乏は社会の仕組みが作ったものだが、それを支えているのは建てている私たちのニーズだ。「建物の価格」を「使える年数」で割ってみてほしい。「安物買いの銭失い」を実感するのではないだろうか。

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