仕事終わり、自宅までの道すがら自転車を走らせていた時のこと。
すれ違った親子の会話がたまたま耳に入ってきました。
時間はまもなく18時。
お母さんが子どもに尋ねます。
「今日、何食べたい?」
私はこの言葉を聞くと、胸が少しちくりと痛みます。
それは私自身、我が子になかなかかけてあげられない言葉だからです。
数年前、何の気なしに、この言葉を私も娘にかけたことがありました。
娘は純粋に食べたいものを答えてくれました。
それを聞いた私は、(自分の思惑と外れていたこともあり)
あっさりと「ごめん、その材料はないから今度にしよっか」と答えていました。
泣き出した娘は私にこう言いました。
「お母さんが聞いたから答えたのに!だったらはじめから聞かないで!」
至極もっともです。
お母さんが悪かった。
本当にごめんね。。
それからというもの、この言葉を口にすることはほとんどなくなりました。
だからでしょうか、こう口にできるお母さんのことをとても尊敬するし、憧れてもいます。一方で、心の中でちょっと毒づいてしまう自分もいるのです。
「夜の6時、子どものリクエストで料理が作れるなんて、よほど段取り上手で料理上手なのだろう。そもそも急なリクエストに応えられる食材が、いつもストックされているの?」
そんなことを思う自分を何だか情けなく思いながら…
だんごの粉を探し求めて・・
この日は中秋の名月でした。
数日前から、夜はだんごを作って食べようねと娘と約束していました。
仕事が終わり、最寄駅のスーパーへ。
しかし、どこのお店もだんごの粉は品切れです。
このお店にはあるかも。コンビニはどうかな?
冒頭の親子の会話を聞いた時、私はすでに4軒の店をハシゴしていました。
その後も2軒回ったけれど、けっきょく手に入れられず。
「そうだ、だんごそのものを買っていこう!」と思い直したものの、それも叶わずで・・
けっきょく「丸い形がだんごっぽいから」と、小さなシュークリームが何個も入ったパックをひとつ買って帰ったのでした。
珍しく玄関先まで出迎えてくれた娘は、だんごが作れないことを知り、ひどく落胆しました。
けれどシュークリームを見るやいなや、「だんごよりもいいかも!」と笑ってくれました。
そんなわけで我が家では、風情なんてちっともない、シュークリームを頬張りながらのお月見となったのでした。
「今日、何食べたい?」は言ってあげられないけれど
「今日、○○食べたい」の子どものリクエストに応えてやるのも子を思う親心。一方で、子どもとの約束を守りたくて、喜ぶ顔が見たくて、だんごの粉を求めてお店をいくつもハシゴするのだって、やはり親心。
「今日、何食べたい?」は言ってあげられなくても、これからも自分なりのやり方で、子どもとの生活と向き合っていければいいのかもしれない。
そう思いながら過ぎていった、今年の十五夜です。
▲十五夜の翌々日、やっとだんごが作れました。娘が紙でつくったお月様をカーテンにぺたり。こんな月見もいいものです。
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