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ホットクックとストウブ鍋が教えてくれたこと

先日、久々に友人と会う機会がありました。
保育園時代、娘が一番仲良かった友だちのお母さんであり、娘達以上に母親同士も仲が良い、私にとって貴重で大切な存在です。
その彼女がこんな話をしてくれました。

最近体調を崩して、色々なことをセーブせざるを得なくなったこと。
自分の思いとは裏腹に、動作も思考もすべてがゆっくりになってしまったこと。
そうしたら必然的に自由に使える時間が増えたこと。
 
それまでの彼女は、時短ばかりを意識して暮らしてきたそうです。
電動鍋のホットクックを愛用し、これで作るカレーが美味しいんだと教えてくれたことがありました。
 
ある日、壊れてしまったホットクックを修理に出している間、鋳物のストウブ鍋でカレーを作ったそうです。
そのカレーは、あんなに美味しいと思っていたホットクックで作るそれよりも明らかに違っていて、とても驚いたのだとか。
 
その時彼女は思ったのだそう。
「(ホットクックに限らず)これまで時短ばかりを意識して暮らしてきたけれど、それを突き詰めていっても、私の描く幸せってないのかもしれないな」と。
 
時短はあくまで手段。それを叶えた先に、何を叶えたいかがあることで活きてくるもの。でもつい、手段が目的と化してしまうことはある。
私もそうだったかもしれない。彼女の言葉はそれに気づかせてくれました。
 
それまでの彼女だったら、修理から戻ってきたホットクックを、またすぐに以前のように使い続けていたと思います。
そしてピンチヒッターだったストウブ鍋は、またいつかと、棚の奥にしまわれていたかもしれません。
 
でも今の彼女には、時間がたっぷりある。
もしかしたら、ストウブ鍋は棚の奥にはしまわれないかも。そう思いました。

人には色々なステージがある


 
彼女の話を聞いてわかったことがあります。
人には色々なステージがあるということ。
主体的に自ら選びとる場合もあれば、なかば強制的に移らざるを得ない場合もある。
でも長い目で見れば、歳とともに自然と移ろってゆくものかもしれません。
 
今の私は、どちらかといえば鋳物のお鍋よりホットクックがほしい。
できるなら、帰宅後すぐに食卓に料理が出せる暮らしを、ここ何年間かは続けたいと切に思っているから。
 
そんな今の私には、鋳物の鍋の存在は少しばかり重たくて、じっくりコトコト何かを煮込む世界はまだまだ憧れの世界でしかない。でもどこかで、「いつかは私も」と願う気持ちがある。
 
焦らなくていいんだと思えました。
いつか私にも、お鍋をコトコトさせる時間は自然とやってくるように思えたから。
今はその時じゃない、ただそれだけ。大事なことは、やりたいと思っている自分の思いに蓋をしないこと。
 

ふたつの道具が教えてくれたこと


 
人には、ホットクックのような便利な家電に助けられる時期もあれば、ストウブ鍋でゆっくりと料理に向き合い、暮らしの豊かさを噛みしめながら過ごす時期だってある。
けっしてどちらが良いと軍配を上げることはできない。そのどちらの時期も尊くて、そのふたつの道具どちらも、暮らしを豊かにしてくれるものに違いないから。
 
 
慌ただしく何かをこなすばかりの日々に疲れることがあったら、彼女が教えてくれたこのエピソードを思い出したいと思う。
 
未来に続く今のこと、時間に追われ、少し後ろめたさを感じている自分の思いも、その内側にある願いも、もっと大事にできるような気がするから。
 

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