こんにちは。スタッフの井上です。
先日、横浜市に暮らす建主・恵さんのご自宅を訪問しました。まもなくお引き渡しして2年が経ちます。
「相変わらず何もない家ですよね」と恵さんはおっしゃいます。
でも、この“なんにもない”空間が、私は大好きなんです!と、笑顔で教えてくださいました。
私の勝手な先入観で、ミニマルな暮らしをしている方の多くは、手放す(捨てる)ことに重きを置いていると思っていました。
手放しは目的ではなくあくまで手段。頭では理解していても、SNSなどで目にする「持ち物◯個でスッキリ暮らす」といったキャッチコピーを見るたび、手放しの本質って何なのだろう?とも思っていました。
私も時々、身の回りの物を整理し、手放しています。
ごちゃごちゃしている空間に余白が生まれ、スッキリとした、清々しい気持ちになります。
そのこと自体は良いのですが、「不要な物を増やしたくない」という気持ちが時々行きすぎてしまうことも。
そうなると、目の前からさっと物を排除したくなったり、入ってくる物にも敏感になってしまったり。
自分(内側)とそうでないもの(外側)との間に、必要以上に境界線を引いてしまうような、どこか窮屈な感じがして、何だかそれも違うのだよなぁと思っていました。
でも、恵さんからは、窮屈さを一切感じませんでした。
なんというか、彼女から感じたのは、物に対する溢れんばかりの愛情だったんです。
恵さんのお話を聞いていると、手放す(捨てる)というより、物が循環しているように感じました。
恵さんは、これまで使っていた物を無理に手放すことはしません。
例えば、まだ使えるけれど好みのデザインのものと出会えたから、全体の統一感を出すためにメーカーを揃えたいといった理由で買い替えることはしないそうです。
物には役目を終えるタイミングが必ず訪れるので、その時に感謝を込めて送り出し、新しいものが必要であれば迎え入れる。
手放すタイミングは、物が壊れたり、自分にとって必要なくなった時が主だけれど、たとえ壊れても、使い勝手の良いものや、まだ使って欲しそうだと感じるものは使い続ける。
そして送り出すときは、どんなに小さな物でも「今までありがとう」と感謝の気持ちを必ず伝える。
ミニマルに暮らしている方と接すると、物の量や捨て方にばかり関心が向きがちですが、恵さんからは、物とどんな関係性を築くか、どんな姿勢で接するか、その在り方が最も大切だということを教えていただきました。
無垢板を傷つけず、使えば使うほど、艶が出ます
お掃除についても伺いました。
恵さんは毎朝5時に起き、布団の上でリラックスしながら瞑想をし、身支度を整えてから掃除を始めるそうです。仕事がある日は20〜30分、ない日は念入りに。
ほうきで掃き、固く絞った雑巾を伸縮ポールにセットしてさっと水拭きするのがルーティン。
掃除の途中で必ず2階の床に腰掛け、壁に寄りかかり、天井や梁を見上げ心地よさを味わっているそうです。
掃除を丁寧にされている方は掃除好きなのかと思いきや、「実はあんまり好きじゃない」とおっしゃっていたのには驚きました。それでも掃除をせずにはいられないそうで。
恵さんと話していると、「これまで、家は家族のような存在だと思っていたけれど、実は自分自身なのかもしれません」という言葉が出てきました。
掃除をすることは生活の一部で、呼吸をするくらい自然なことだとも。
恵さんにとっての掃除はセルフケアのひとつなのかもしれません。
自分自身を、自分のできる方法で大切にする。
大切にする対象は人それぞれです。それが掃除じゃない人もいますし、やり方もそれぞれなのかなと思いました。
お庭も見せていただきました。この夏も無心で雑草を抜いていたそうで、「瞑想しているみたい」とのこと。これもまた、恵さんならではの、暮らしと、自分自身との向き合い方なのだと思います。
十人十色の暮らし方
建主様の家を訪問するのが、私はとても好きです。
家づくりはもちろんですが、暮らし方も十人十色。そこには、その人なりの哲学が必ずあります。それはその人自身の物語と言えるかもしれません。
どんな物語を紡いでいるのか知りたい。そんな気持ちで私はいつも建主様の家を訪問しています。
恵さん、よい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。
今度は一緒に仰向けになって、天井を眺めて深呼吸、してみたいです。