子どもが生まれたら親になる。それはごく自然で当たり前のことかもしれません。けれど物理的に親にはなれても、それが、自分が思い描いていた「親」の姿なのか、子どもを育て10年近く経った今でも、正直よく分からないでいます。
それに、子どもに対する心配や悩みもいっこうに減ることはありません。妊娠中なら妊娠中の、出産後なら出産後の、そして成長すればその時々で、さまざまな心配の芽が顔を出します。どの芽も時が経てば静かに枯れていくことのほうが多いけれど、やっぱり新しい芽は生え続ける…。
きっとみんな同じですよね。
このコラムでは、私自身の、娘が乳幼児期に悩んでいたこと、そこから学んだことを綴っています。これから子育てがはじまる方、絶賛子育て中の方にも読んでいただけたら嬉しいです。
保育園に慣れるのに、3年かかった娘
8才になる一人娘は、赤ちゃんの頃からどちらかというと手がかかる子どもでした。自己主張が激しく、イヤイヤ期時代の口ぐせは「(何でも)じぶんで!」。自発的な行動はとっても嬉しいけれど、やりたいという感情に行動が追いつかず、イライラしてすぐに癇癪を起こす。途中からなんで泣いているのか分からなくなって、さらに泣きわめく。そんな娘を前に、心が挫けそうになることも多かったです。
そんな娘の性格にさらに驚かされたのは、5年間通った保育園での出来事。私と離れるのがさびしくて、毎朝のように号泣しました。はじめはそのうち慣れるだろうと軽くかまえていましたが、ひと月経ってもふた月経っても状況は変わりません。「何か満たされない気持ちを抱いているのではないか…」と不安になることも多かったです。(特に我が家は母子家庭なので、そういうことも関係しているのかとぐるぐる考えてしまうことがよくありました)
▲娘の保育園の踊り場に吊り下げられたオブジェ。素朴なかわいらしさが素敵でした。忙しくなりがちな送り迎え時、ふと視界に入ると心が和みました。
赤ちゃん(1才)の頃は抱いた娘を先生に託し、振り返らずにさっと教室の外へ出て行くようにしました。いったん離れてしまえば、先生にあやされながら自然と気持ちが切り替わり、園生活に溶けこむことができたからです。けれど2才、3才となり自我が育ち自分の気持ちを言葉にできるようになると、そのやり方では逆に娘の気持ちを傷つけるのではと思うようになりました。小さいながらも一生懸命、自分の気持ちに折り合いをつけようと葛藤している娘のがんばりを無下にはしたくない。時間はかかっても最後まで見守りたいと思いました。
▲毎月発行される園だより。自分の子だけでなく、他の学年の子の成長をのぞかせてもらうのも楽しみでした。
当時の娘には、園生活をがんばるための、おまじないのようにしている言葉がありました。「おかあさん、おしごとがんばってね」。その言葉を泣かずに言えたら、気持ちに踏ん切りがついて、教室の中に入っていくことができます。でも、そのたった15文字の道のりが、すごーく遠いんです。いつか必ずできるようになる日が来るとは分かっていても、それがいつなのか分からない。親子二人三脚の試練の日々は続きました。
▲時にはうまくバイバイができなかった日もあります。娘の気持ちを察し、先生が手紙にしてくれました。迎えに行くと嬉しそうにこの手紙を渡してくれた娘。先生方のやさしさに、親子で救われた出来事でした。
突然、娘が「もう泣かない」と決めた
そんな娘がある日、とうとうじぶんの意思で、「もう、お姉さんだから泣かない」と決めたんです!ちょうど年中に上がった時で、すでに園生活は4年目に突入していました。そこからはどこか娘の顔つきも変わっていきました。「自分で決めてできた」という経験が、少なからず自信をつけてくれたのだと思います。不思議なもので、一度できるようになると、できなかったことが嘘のようにその後は容易くできるようになりました。
私は、待ちこがれた春をようやく迎えられた喜びと、あんなに泣いていた娘がケロッと表情を変えたことへの驚き、そして保育園に行くだけでこんなに大変なのだから、これからどんな大変なことが待っているのだろうという軽い恐怖など、色々な思いが交錯していました。
▲大きくなってからも、外出時はいつも着替え持参で。今は「汚れるの嫌」なんて言うので、こんな風に派手な泥遊びができるのは、期間限定のことなのかもしれません。
正解を導いてもらうのでなく、寄り添ってもらえた経験を子育てにつなげたい
泣かずに保育園に通えるようになる。人にとっては1日でクリアしてしまうことを3年もかけてようやくできるようになった娘はある意味異常で、それに付き合う私の行動も、はたから見たら呆れてしまうものだったかもしれません。(この時期は遅刻も多かったです…)
でもそんな私たち親子のことを、保育園の先生方は、ただただ温かく見守ってくれました。そして時に「大丈夫ですよ」「お母さんの、○○ちゃんに寄り添いたいと思う気持ち、ちゃんと本人に伝わってますよ」と励ましてくれました。否定もせず、過度なアドバイスをするでもなく。ずっと同じ姿勢で見守ってくれた。それがどれだけ励みになっていたか。
「あなたが選んだことを私は応援するよ」という姿勢には、その人を信じ、見守るという、信頼や応援の気持ちがこめられているように思います。言葉以上にその眼差しや姿勢に、私は力をもらえました。それがなかったら、きっとこんな風には見守り続けることもできなかっただろうし、「親は親の、子は子の、それぞれの持ち場でがんばってこよう」という気持ちを持ち続け、安心してやり切ることもできなかったと思います。
▲11月、木枯らしが吹くような時でも、水遊びが大好きでした。
この春、娘は小学3年生に。相変わらず気は強く自己主張は激しい。繊細な面も変わりません(三つ子の魂百までですね)。そして未就学時代の(どちらかといえば)「子どもの心に寄り添うお母さん」だった私は、どんどん口うるさくなり、「お母さんは私の気持ちを全然分かってくれない!!」と親子でバトルを繰り広げることもしょっちゅうです。
「親も人間だしね、受けとめられないこともあるよ」なんて開き直りながらも、「ちょっといい過ぎたか」「あぁ、またやってしまった…」と反省も繰り返す。
今回、保育園時代のことを思い出しながら、私が経験を通して学んだ「子どもに対してこう在りたい」という“心がまえ”のことを思い出しました。「ただ聞こう、ただ受けとめよう、ただ見守ろう」。難しい時もあるけれど、ずっと心に留めておきたい、私にとってのおまじないです。
▲天然住宅では年に2回、宮城県の栗駒に山仕事に出かけます。娘も0才の時から参加しています。栗駒は第二の故郷、そこで迎えてくれる人たちも親戚のような存在なんです。