ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー|ブレイディみかこ
ブラック・ライブズ・マターの広がりについて、当然、あのような凄惨な事件は起きてはならないし、差別はなくしていかなくてはいけないと思う一方、そのような人種差別は日本からすると、実感がなく、その差別の核心や、背景にあること、根深さについて実感を持つことが難しく、考えることを始めにくい問題でもあります。
でも、一方で、その差別の相似系となる問題なら身近にもあるのかもしれません。そこから始めてみるのもよいことと思います。
本書は差別やいじめについて、よき視点を提供してくれているように思えます。
本書を読み始める前、この本のテーマがいじめや差別や貧困ということで、「重い」本なのだと思って、少し手に取るのを戸惑っていました。その手のテーマは気合を入れないと読めません。
しかし、読み始めると、一気に読めました。
このテーマを、こんなふうに軽やかに、でもしっかりポイントを押さえて、描けることは稀有なことなのではないかと思います。ぜひ、みんなに読んで欲しい、お勧めしたくなる本で、いろんな人に勧めまくっています。
本書は筆者(日本で生まれ育ち現在イギリス在住)と筆者の家族をめぐる出来事についてのエッセイですが、舞台となるイギリスは日本に比べ、移民も多く、その歴史も深い。人種、宗教、肌や瞳の色も様々な人たちが、(問題は様々あれど)共に暮らしている国です。
格差や貧困などはより明確で、根深いのだけれど、いい意味でも悪い意味でも、根付いているのだとわかります。
労働者層は労働者階級であることを隠さず権利を主張するし、授業の中には人種差別について学ぶカリキュラムがあり、ホームレス支援などのボランティアはより身近な活動であるようです。
当地では、大きなところから些細なことまで、階級意識と差別は社会に存在していて、そのために、怒りや失望があります。でも一方で、社会に移民や貧困層が内包されているように感じるときもあります。そういう意味では社会や市民が成熟しているという印象を受けます。
一方、日本での差別や貧困は、無視、疎外、ごまかしのような形で現れるように思います。著者の別の著書「THIS IS JAPAN」は、日本を舞台にして、社会のフレームの外側にいる人たちと、それを支援している人たちが描かれている本です(これも本当にいい本です)。ホームレス、外国人労働者、認可外保育園、みんな社会の端っこに追いやられて見えない存在として、疎外され、搾取され、放置され続けている、日本の現状がよくわかります。
そのような状況は社会の色々なところに存在しています。障害者をめぐる環境についても、同じように課題があると思います。ただ、障害者については、当事者運動がより進んでいて、世界でもその権利を獲得する事例も見られるようになってきているようです。障害者の「自立生活運動」はその一つですが、その自立生活運動を扱ったドキュメンタリー映画「INDEPENDENT LIVING」では、冒頭にエドウィン・マーカム(アメリカの詩人)の詩が引用されます。
「その人は円を描いた。私をしめだすために。異端者や反乱者、軽蔑すべきものをしめだすために。しかし、愛と私はこれに打ち勝つ知恵を持っていた。私たちも円を描いた。その人も含めいれる円を・・・」
自分の理解も及ばないような多様性と対峙した時、こういう姿勢をもってそれを享受できるようになれたら、そういう想像力と精神力をもち、行動できるようになれたら、と思います。
コロナ禍の後の「新しい生活様式」という言葉がよく使われます。
私たちはこの社会的困難の中から、学ぶべきことがあるのだと思います。できることなら、この機会をプラスに変えられるようにしたい。
ソーシャルディスタンスや消毒とか表面的なマナーだけで終わるのはもったいない、と思います。
コロナに対しては様々なスタンスが存在することがわかりました。
消毒をする人、しない人、
外出や外食に行かないようにする人、自分の中での線引きを設定する人、
マナーを強要する人、周りに合わせる人、、
どうやら私たちは皆同じ考えではないようです。(当たり前ですが)
冷静に考えれば、立場や状況によって、対策への緊急度も違えば、できること、できないこともあります。
ましてやこの世の中に存在するリスクは、コロナだけではありません。
経済的リスクは対策と反比例して上がりやすいし、それがゆえに生ずる生命のリスクも忘れてはいけません。
みんな違うことを考えて、それぞれの立場でそれぞれの価値観で生きていることに気づくこと、それが始まりではないかと思います。
立場が違えば、意見や行動が違う。それは誰からも非難されるべきことではない。誰しもリスクを冒して、責任をもって判断した行動を非難されたくはないと思います。
それなら翻って自分も、差別や分断につながるような言動をしないし、加担しないように気を付けなければいけないと常々肝に銘じています。
「違う」ことに慣れること。そして想像すること。
意見が違うことに、無理に同調する必要はなくて、共感してみればよいんだと思います。
私たちはここから多様性を認めることを学ぶべきではないかと思います。
新しい生活様式が必要なら、マナーとかだけでなく、市民としての成熟を獲得できたらいい。
成熟のための貴重な示唆が本書にはあると思うのです。
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