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読書日記|小野寺

世界は贈与でできている|近内悠太

こんにちは。
スタッフの小野寺です。

今回の読書日記は、父からすすめられた本についてです。
父いわく、天然住宅の考え方と似ているのでは?ということでした。

「交換」か「贈与」か



非常に論理的で、哲学的な内容の本。
哲学的な言語で語られるそれは、途中、何とも気持ちのいい眠気を誘ってくれるのでした。しかし、食らいつきながら読みました。

資本主義の「交換」と「自由」。
あらゆるものが商品化され、それをお金と交換することで、幾多の選択ができるという自由。

でも、交換が済んだら、両者の関係は終わりなのでしょうか?
それはなんか、つまらないというか、つめたいですよね。

むしろ関係が始まる、続いていく、そんなつながりが欲しい。

贈与は、そんな資本主義の「すきま」を埋めてくれるのだそうです。
(資本主義の否定ではなく)

家づくりは、単純な「交換」であっていいのか。
建主さまとの関係を、家づくりに関わってくれた人との関係を、続けていきたい。それは、スタッフみんなの願いでもあります。

それには、やはり「贈与」という考え方が、必要不可欠なようです。

そしてこの「贈与」、どうやら受け取ることが大切なよう。受け取っていることに気づくこと、すでに届いている手紙に気づくことが、大切らしいのです。

届いてしまった手紙



僕は本を読むとき、そのタイトルや目次から、ある程度内容を予想して読みます。今回のこの本、少し裏切られました。(いい意味です)

きっと「贈与、つまり、他者に与えることが大切なんだよ」という内容だと思っていました。

それももちろんそうなのですが、読み終わったときに感じたのは、「他者から与えられていることに気づくことが、もっと大切」ということだったのです。

著者の近内さんは言います。
「被贈与の気づきこそがすべての始まり」なんだと。
「贈与は与え合うのではなく、受け取りあうもの」なんだと。
「届いていた手紙を読み返すこと」が大切なんだと。

家族、友達、同僚。
家、布団、食事。
日本、世界、環境、地球。

あらゆるものを、僕たちはすでに受け取っています。
周りを見れば、受け取ったものばかりです。
この文章を書いている、このパソコンだって、受け取ったものです。この指も。この目も。

すでに受け取っている、誰かからの「手紙」です。

僕たちは、「何かがないことには気づくことができるが、何かがあることには気づけない」のだと言います。

でも、想像力があれば、届いてしまった手紙を読み返すことができるのだと書かれていました。そこに何かがあることに気づけるのだと。

そしてその想像力は、勉強によって培われるのだそう。
なんとシンプルな方法でしょうか!

もし子供に「なんで勉強しなくちゃいけないの?」と聞かれたら、涼しい顔で遠くを見ながら、余裕の表情でこう言いましょう。

「君はまず、世界と出会わなければならないのだよ。すでに届いてしまっている手紙に気づくためにね。」

何か言い返されたら、焦らずに、こう言いましょう。

「そして僕たち大人も、世界と出会い直し、不当に受け取ってしまった手紙を読み返すために、日々勉強してるのだよ。君と同じでね。」

メッセンジャーの使命



僕たちは、受け取ってしまった手紙に気づき、読み返したとき、それを次の誰かに届ける使命を帯びるのだそうです。子育ても、これに似ているのだと思います。

そして、メッセンジャーになった僕らは、その宛先から逆向きに、今度は「仕事のやりがい」や「生きる意味」を、偶然にも返されるのだそうです。

また受け取るのですね、近内さん。

天然住宅がやっていること、これからやろうとしていることは、どうなのだろうか。

僕たちがすでに歴史から受け取っている手紙を、読み返さなければ。
もっともっと勉強し、想像力を磨き、読み返さなければ。
そしてそれを誰かに届ける、メッセンジャーとならなければ。

そしてその先で、血の通った、人と人とがつながる、「温かい家づくり」を実行しなければならないのだ!

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