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家づくりを支える職人たち#4

こんにちは、現場監督の大迫です。
 
一軒の家を建てるためには、大工さんをはじめ、たくさんの方の力が必要です。
 
しかし、その縁の下の力持ちとも言うべき職人さんは、普段から口数が少なかったり、シャイな人も多く、表に出ることはほとんどありません。
 
一方で、家づくりという一大プロジェクトを前に、どんな人が家づくりに携わっているのか、気になる方も多いのではないでしょうか。

このブログで少しずつご紹介していきます!
(これまでの記事は >>こちら
 
今回ご紹介するのは、ベテラン大工の苫米地(とまべち)さんです。
 

大工の苫米地さんは現在71歳。
天然住宅の家づくりには、2011年から参加してもらっています。
横浜、逗子、鎌倉など神奈川県内を中心に、新築戸建からリフォームまで、これまで数多くの現場を担っていただきました。
先日までは文京区で新築の戸建て住宅を、現在は杉並区のマンションリフォームを担当してくださっています。
 

苫米地さんの出身は青森県です。
幼少期はいたずらばかりしていて、お仕置きとしてよく木に縛られているような、本人曰く“悪ガキ”でした。
 
大工になったのは15歳の時。棟梁の見習いからはじまりました。
当時は山持ちの家が多く、どの家も「自分の山の木」で家を建てていたそうです。製材する移動式のトラックなんてものもあったそう。クレーンがないためロープを使って太い丸太を手作業で運び上棟していたといいます。
 
棟梁から怒られることは日常茶飯事。時には叩かれながら、厳しく仕事を教え込まれました。仕事以外にも、棟梁の子どものお守りまでやっていたそうです。
休みという休みもなく、唯一の休みは、上棟日に明け方までお酒を飲んだ日くらい。なんだか時代を感じますね・・。
その頃の名残で、現場で他の業者が弟子を厳しく指導している姿を見ると、当時の自分の姿を重ねてしまい、苦しくなることもあるそうです。
 

数年間の修行の後、19歳の時に上京。鉄道会社がこぞって山の開発をしていた頃で、分譲地での建築が盛んな時代でした。
とある工務店で大工契約をし、それらの現場で自由なスタイルで仕事をしていたそうです。
ちなみに、現在の家は「プレカット材」(現場での施工前に、工場などで機械的に切断された木材)の使用が主流ですが、その頃はまだ大工による手刻みが家づくりの基本でした。
それから数十年経ち、今でも自分で刻める苫米地さんのような大工さんは、とても貴重な存在です。

昔ながらの職人さんというイメージの強い苫米地さん。正直あまり愛想は良くありませんが、実はお喋り好きで気さくな一面もあります。
 
そしてやはり仕事でうまくできた時はとても嬉しそう。
以前、しぼり丸太の床の間をきれいに仕上げてくれた時も、「いいでしょ」とアピールしてきました(笑)
 
ある現場でのこと、大工工事最後の日に、建主さんのお子さんが手紙をくれたことがありました。子ども好きでもある苫米地さん。その時もとても嬉しそうでした。
 
天然住宅の家づくり(合板や化学接着剤を使わない)もすっかり浸透しています。ある時、キッチンの取り付け業者が間違えて下地に合板を使おうとしていた時も、しっかりと指導してくれていました。
 
日々、長年の経験や技術をいかんなく発揮し、家づくりと向き合ってくださっています。

休みの日の過ごし方を聞いてみると、「時代劇を見ながらお酒を飲むこと」と教えてくれました。最近は、お酢につけたあんずと一緒に飲むのがお気に入りだそうです。
 
年齢的な心配もありますが、これからも一日も長く、天然住宅の家を建てていただきたいです。生涯現役で!
 
以上、苫米地さんのご紹介でした。
現場で見かけた際は、気軽に声をかけてみてくださいね。
 

 

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