自宅の井戸がついに枯渇した
困った。岡山県和気町に越してきて10年、ついに初めて井戸の水が足りなくなった。去年の暮れから「ちっとも雨が降らないなぁ」とは思っていた。だけど電気を太陽光発電で自給している都合上、電気が不足しなくて良いぐらいにしか思っていなかった。だけど意外なことに、井戸水が不足してしまったのだ。
「なんだか井戸ポンプがうるさいな」、ぐらいにしか思っていなかったが、ポンプは水位が低くなった井戸から水を吸い上げるのに必死だったのだ。今この原稿を書いているのは外の喫茶店で、久しぶりの雨で発電しないのでノマドっているのだ。今日の雨で水はこれで十分になる。雨がうれしいなんて、ぼくの人生の中でもまず感じたことがなかった感触だ。雨は外に出掛けられなくて、憂鬱で鬱陶しいものだった。それがうれしいなんて。
小さな娘は「これで水、だいじょうぶだね」なんて喜んでくれたけど、確かに井戸水が減ってくると我が家は安心でなくなる。トイレを流すのですら大丈夫かな、なんて思う。水位の低くなった井戸水を吸うのに管が咳き込んで、水が少し濁るのだ。
子どもは水泳教室の後、近くの温泉に風呂に入りに行った。温泉は快適で、珍しい「炭酸泉」の湯で温まってきた。家の近くにこんな施設があるのが気持ちいい。山一つ越えた向こう側で、クルマで10分かからない位置だ。レストランも併設していて、遠方からの客が泊まるときにはいつもここに案内する場所だ。
その温泉は止まっていないのに、我が家の井戸は厳しくなった。一晩待てば、ある程度の水量は復活する。「水みち」を流れる水が厳しいのだろう。もうひとつ、とても浅い井戸であることも関係している。温泉地の井戸と違って、我が家の井戸は4メートル程度しか掘られていないのだ。それでも水質に問題はないし、農薬などの汚染も一切ない。
どうしようかと思った時、真っ先に考えたのは「雨乞いの祈り」を知らないことだった。どんな踊りがいいのか、祝詞の言葉も知らないし。
「便利な暮らしに慣れすぎたのかな」なんて思う。「いや、今どき雨乞いの踊りなんて知ってるやつはいないさ」とも思う。今日の雨でとりあえず解決だ。心配だったらもっと深く井戸を掘るか山の手入れをしよう。そんな不便さが愛おしく思えるのは変態的だろうか。
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