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「グリーンウォッシュ」の甘いささやき|田中優コラム #181

前回の続き
このような「SDGs」を「グリーンウォッシュ」という人もいる。
ちっとも良くないのに、グリーンに見せかけるという意味だ。
たとえばSDGsで得点を稼いでいる金融機関が、温暖化を招く二酸化炭素を一番排出する石炭火力発電所に融資していたりするようなことだ。
 
ブラジル会議の時、リオデジャネイロの会場では経団連が「原発がいかに安全で安く、環境に良いか」をPRしていたが、それと同じだ。
日本では2011年に東日本大震災が起こり、そのすべてが嘘だったことが白日の下に晒されることとなった。
 
ではどうするかだが、私は自然エネルギーを導入しただけでは解決しないと思っている。というのは電気を人々に送る仕組みが変わっていないからだ。
 
今の仕組みは大きな発電所を作り、高圧送電線で全国津々浦々まで送る仕組みである。つまり原発のような巨大科学技術に依存する仕組みだ。
送電ロスを少なくして電気を送るには、高圧線が良い。送電ロスは電圧の二乗少なくなり、その電圧をコントロールするには交流が圧倒的に簡単だ。それが今の送電線網を作った。

これは大きな中央集権型の仕組みだ。そこに太陽光発電などの「小さな自然エネルギー」からの電圧の低い電気を流そうとすると、電気をロスすることになる。低圧のままでは、高圧線の数百万倍もロスするのだ。

もともと自然エネルギーの小さな電気は、中央集権型の高圧線網には向かない。それなのに自然エネルギーを導入しながら送電の仕組みを変えなかったことが問題の根幹を作った。

ならば送電ロスの少ない「超電導」にしたらどうだろう。しかしそれにも巨大な欠点がある。「超電導」にだって寿命があるし、小さな抵抗が生まれることがある。その抵抗が生まれたら、電気はそこで熱に変わる。電気が膨大に流れる送電線に抵抗が生まれたら、大爆発する。「超電導」は実現しているが、広がらない理由はここにある。
 
「超電導」は原発と同じく、「見果てぬ夢」なのかもしれない。進めるべきではないと思うのだ。いつかSDGsの取り組みとして「超電導」を謳ったものも現れてくるだろう。その時それを食い止めるのは誰だろう。こうした未来も止められないようなSDGsは悪夢でしかない。
 

 
ただでさえ「グリーンウォッシュ」は多い。今はガソリンの要らない電気自動車への転換が進められている。しかし、そのCO2排出量のトータルでは上の図のように最初のバッテリー生産のための二酸化炭素の排出量が大きく、今のバッテリーのままではほとんど改善しない。

東芝が開発した「SCiB」が普及したり、新たな仕組みが進まないと困難だろう。すると今の時点で二酸化炭素の排出量を減らすとしたら、ガソリンではなく廃食用油などからの「バイオディーゼル」や二酸化炭素から作り出す燃料にする方がずっと良い。
 
それなのに、日本政府は電気自動車への転換を決めてしまった。
自動車の揺り籠から墓場までの二酸化炭素排出量(LCCO2と呼ばれる https://www.mazda.com/ja/csr/environment/lca/)から見ても他の車と比べての優位性はほとんどないにも関わらず。
 
原発の再度の普及を目指す経済界の流れを見ると、電気自動車の推進にも原子力の再普及の希望が透けて見える。
万が一、原発が良いものになったとしても、生み出される放射性廃棄物の処理には長い時間の間に半減期を繰り返して減らす以外にない。その長さはこれまでの人類の歴史を超えるほどの長さだ。冗談にもならない。我が家のように自然エネルギーで賄うとしても、これまで作ってきた送電線網の仕組みとは相容れない。

「SDGs」を進めるには、使っていいものと使ってはいけないものとの峻別が必要だ。使っていいのは使って減らない自然資源だけで、必ず使う期間の間に再生できる資源でなければならない。
 
木材を使って家を建てることは、成長の年数よりはるかに長く使うことができる。無垢の木材は、家として使い終えたら家具にし、最後にトイレットペーパーにして流すまで、利用することができる。
 
もし家を建てるなら、その資源の誕生までの年数と使う期間の年数を比較してみてほしい。天然住宅は、持続可能な暮らしを実現できるのだ。

 

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