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「隣は何を悩む人」ぞ|田中優コラム #186

仕事を辞めて大分経つ。テレビもラジオも聞かないし、SNS以外では話もしないのだから世情に疎くなるのは致し方ない。でも「逃げ恥婚」の話ぐらいは知っている。フェイスブックで賑わっていたからだ。そんな暮らしをしているものだから、「クオーラ」というコミュニティのQ&Aサイトがいつの間にか送られていて、それを楽しく読んでいる。人々が何を考え、何に悩むのかがわかるからだ。
 
それを読んでいると、人が生きるのに何に悩むのかが見えてくる。大雑把に言うと、「進学や就職・転職、キャリア」のこと、「人間関係や趣味、子育て」、「年収や勤め先のこと」で悩んでいる。その裏返しとして「劣等感や優越感」に浸っていたりする。不安になる要点が見えてくる。それを知ると、人里離れて暮らしているような私にも自分の位置が掴める気がする。

私はどうやら仙人化しているようだ。そうした話題に興味がないというより、次元がずれてしまっている。大概の話題は収入や資産につながっているのだが、カネがあったとしても暮らしを変えたくないし、収入のために動きたくもない。何が望みなのかと聞かれたとしたら、カネに左右される暮らしはしたくないということか。

「どうしたら○○万円稼げますか」とか「貯められますか」という質問がある。何のためのおカネなのか。それが本当に欲しいのかどうか。私が考えるとしたら、「どうしたらおカネに関わらずに暮らせますか」になるのかもしれない。

カネがなくても暮らせるのって理想形ではないだろうか。誰かに強制されることもないし、しなければならないこともない。その目一杯の自由の中で、本当に欲しているものに囲まれて生きる。さして困難もなく、他者に迷惑かけすぎることもなく生きる。

電気は不自由することがもうなくなった。お湯も晴れていればふんだんにあるし、きれいな水にも不自由しない。通信は光回線だし、友人たちが手作りしてくれたもので生活のほとんどが賄われている。

要は人の悩みを聞くと、逆方向の未来を指向しているように見えるのだ。新たなものを欲するより、なくても暮らせるようにしていったらいいんじゃないか。例えば年金のような「定額で少額の収入では暮らせない」と言って収入を増やすことを考えるより、支出を減らした方が便利なのだ。毎月定額が出ていくインフラ料金を減らしたら、それだけ稼がなくて済むのだから。

こう考えるのはカネのために、奴隷のように働かされた時代を思い出すからかもしれない。私は腰痛持ちなのだが、それは17歳の頃に重い砂糖袋をトラックの荷台から投げられて、それを受け取る作業を一日中させられたのが原因だ。それで脊椎の間が潰されて腰痛持ちになった。そこで頑張るべきではなかった。今ならそう思うのだが、その頃は何としてもカネを稼ぎたかった。

悩む必要はなかった。無理ならやめて、無理なくやれることを探せばいい。デスクワークに勤められるようになった時は、本当に良かったと思った。もう無理な肉体労働はしなくてよくなったからだ。慎ましいかもしれないが、暮らすにはこれでいい。

 

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