危機的事態の中のサバイバル
ときどき「おとぎの国に住んでいたみたいだ」と感じることはないだろうか。環境問題が深刻化し、とてもこれまで通りの暮らし方など許されないと気づいてみると、それ以前の話はお伽話の世界だったと思うのだ。
かつて「地球環境問題を気にしています」と言えば事足りるような状態で、「資源を無駄にしません」なんて言うだけでよく、その実気持ちだけで、何もしなかったとしても許されていたと思う。でもそれでは解決しない、このままいけば数百年後に滅びてしまう、それが現在の状況ではないか。何もしないでおまじないを唱えるだけでは足りなくなったのだと思う。
私たちは解決策を探し、行動しなければいけない。その中でやるべきことが二つある。一つは電気のために二酸化炭素を排出しないことと、もう一つが植物の保護・成長を助けるために行動することだ。
とりわけ生活の中で大切なこととして、電気を買わないことが大事だと思う。電気の二酸化炭素の直接排出量は発電所(「エネルギー転換部門」)だけで40.1%もあるのだから、二酸化炭素の排出量を半分以下にしなければならない現状の中で、この排出量は許されるものではない。(下図参照)
でも心配しなくていい。太陽光発電システムの価格が半額以下になり、同じくリチウムイオンバッテリーも安くなったおかげで、二酸化炭素の排出なしに自分で電気を作り、貯蔵し、自給できるところまで来たのだ。しかもその方が安いという時になって、電力会社の仕組みにしがみつく必要もないだろう。
では天然住宅では何をすべきだろうか。もちろん電気を自給できる仕組みを組み込んだ住宅を販売すべきだと思う。我が家で最近導入した太陽光発電パネルは310Wのもので、一枚あたり26,350円だった。10枚で3100W設置したとしても263,500円だ。1キロワット85,000円で足りるのだ。それに中古の電気自動車のリチウムイオンバッテリーを設置すればいい。我が家ではリチウムイオンバッテリー自体が組立設置費込みで36万円、パネルの設置費(ただしパネルは6枚のみ)で6万円。その他の合計で855,370円だった。
もしもっと電気が必要であれば増設すればいい。仮に18枚5.58kw設置した場合、パネルの価格は474,300円だ。その他の価格が同じなら、全部設置しても、1,643,290円ほどだろう。それで屋根などの条件が整えば自給可能だ。これを1か月1万円の電気料を払わなくなるとして計算すると、193か月ほどで元が取れる。つまり16年強だ。今の電気料金を電気の自給のために向ければ、16年目には元が取れる。その後は設置したパネルとバッテリーが壊れて交換するまでは支払う必要がなくなる。
これを未来バンクで融資を受けるとすると、金利は年2%の単利だから、16年1ヶ月の金利合計で275,899円になる。これを地域の信頼する者同士で出資金を担保して提供した場合(特定担保融資)、金利は1%にできるため、返済は15年弱となり、金利の合計も132,470円ですむ。今支払っている電気料金が1万円/月であった場合、15年ほどで支払う必要すらなくなるのだ。(下記参照)
天然住宅の強み
天然住宅が「自エネ組(自給エネルギーチーム)」と提携し、また「未来バンク」と提携していることからこれが可能になるのだ。もちろん融資には審査がある。しかし、これほどのことが実現できるポテンシャルがあるということを知ってほしいのだ。地球温暖化に対してなす術もなく絶望せざるを得ないのは耐え難いと思うのだ。
「未来バンク」は貸金業法に登録していて、法的にも何のリスクもない形にしている。天然住宅の社長をしている田中竜二は未来バンクの事務局をしており、弟の田中翔吾は顧問弁護士をしてくれている。そしてその父・田中優は未来バンクの1994年の設立以来の理事長をしている。
しかし未来バンクは個人のものではない。たくさんの組合員の人たちの出資によって(2021年8月末時点で1億9600万)成り立っている。その人たちの信頼を裏切らないために、厳しい理事メンバーの合議を経て進められているのだ。
その理事長をしている私としては、とにかくこのまま座視したまま滅びることだけは耐えがたい。やれることはやってからではないと、死んでも死にきれないと思うのだ。
だから温暖化防止のために、二酸化炭素の排出量の最も多い「エネルギー転換部門」という名の発電所から出される二酸化炭素の排出を止めたいと思う。
しかしそれだけでは40.1%の削減だから、まだ二酸化炭素の排出削減量のすべてをカバーしきれない。少なくとも45%は削減しなくてはパリ議定書で約束した削減量にも足りないのだ。
そこで電力会社からではなく電気を自給することに加えて、森林が吸収してくれる二酸化炭素量をもっと増やすこともやりたい。それが天然住宅で行っている森の植林活動や間伐などの活動なのだ。
これがものすごい効果を持つことはすでに解説した。森の中の土壌が材木の五倍もの炭素を蓄えてくれている。森は植物が炭素を蓄えてくれるだけでなく、それを支えている菌根菌もまた、土壌に炭素を蓄えているからだ。
その土に二酸化炭素を蓄えさせる方法は、パリ議定書を成り立たせたフランス政府が述べている。今の農地に0.4%だけ(「4パーミルイニシアチブ」という)炭素を届けるだけで、世界の農地合計では、世界で毎年出されている二酸化炭素量の75%を吸収することができると。
しかしそれだけができることではない。西暦2000年を過ぎてから、アマゾンのテラプレタ(赤い土の意)が人為的に作られたものであることがわかった。インディオたちは土壌を豊かにするために、赤くて痩せたラテライトの土地に、「炭」を加えていたことが明らかになったのだ。それ以前は、偶然そういう土地なのだと考えられていたのが、インディオたちによって人為的に作られたものであることがわかったのだ。さらには北アメリカの肥沃な農地もまた、同様のテラプレタであることがわかった。
注目すべきはその炭の濃度だ。4パーミルどころではない。10%近くまでも炭素が土地に含まれていたのだ。なぜこれほどの炭素を必要としたのか。それが「土壌」の素晴らしいところだ。
「土壌」という言葉は単なる「土」と違って、有機質を混ぜ込んで生物が自ら作り出したものだ。土壌から栄養を得るにはただ土だけが硬く固まった土では難しい。木の根よりはるかに細かいカビなどの微生物が入り込める間隙が必要なのだ。
その間隙を作っているのが、残された炭素だ。特に炭は多孔質で、多くの間隙を作る。これがいわば微生物のマンションとなって、その生存を支えるのだ。山でも栄養分の失われた土地は、重すぎる重機などが走り回ったような硬い土地だ。生物が生きられる土地には適度な空隙があり、水や空気が入り込んで息のできる土地だ。
その間隙を作るためには、炭や木屑などの生きていた生物の残滓が必要なのだ。その炭を役立てることも含めて、天然住宅が関わっている「エコラの森」には、生物たちがお互いを役立てるために、ウシやウマを始めたくさんの生命のつながりが生きている。
生物の和の中にヒトも入り込むようなつながりが大切だ。たくさんの生き物たちと共生し共存すればするほど森は豊かになるのだ。
そのための設計を
天然住宅が電気の自給ができる建物を建てるとすると、新たに設備の設置が必要になる。充電するためのリチウムイオンバッテリーや、発電するための太陽光発電やピコ水力発電と呼ばれる本当に小さな発電設備などだ。
特に小さな水車(ピコ水車)が使えるなら、24時間発電できるので、夜間に電気を生み出すのにとても役立つ。電気を自給する場合には売電する時と違って、小さな電気であっても差し支えない。小さなものでもバッテリーに蓄積して使えるからだ。送電ロスはあまり考えずにすむから、むしろ発電したところから蓄電池までの距離を気にした方がいい。
そして電気は発電量よりも、消費量を気にした方がいい。だから発電メーターよりも充電した電気の量のメーター、消費する電気のメーターがわかりやすく見えた方がいい。電気の配線などは隠すが、モニターは逆にわかりやすい場所にあったほうがいいのだ。
今の太陽光発電装置のように価格が安くなってくると、なるべく効率良く省力化することも考えた方がいい。掃除機を掛けていたものも、箒で掃いたり、ルンバのような自動で掃除してくれる装置に任せた方が良い場合も出てくる。我が家では太陽光発電パネルを増設して以来、電気が余るほどだ。余るのなら、常に室内を冷房していた方がいいと思い始めている。
電気が買うものでなくなれば、天気の状態を気にしてさえすれば、惜しみなく使うことができる。そうしたら床下の掃除など、機械に任せきりにした方が良い場合も出てくる。必要なバッテリー室の冷暖房も自然にされるようにした方が便利かもしれない。天気に注意していれば、節電を気にしなくてすむことも増えるかもしれない。
そうすると日射量をイメージしながら建物を建てることも大事になる。日が当たるということは、それだけ熱量や電気が届いているということだ。冷暖房もガスや電気ではなく、日照による輻射熱利用を考えるといい。輻射熱は絶対温度の四乗倍も伝わるのだ。夏の冷房には井戸水の冷たさを利用し、冬は温められた温水の暖房利用を考えた方がいい。
軒の長さはパッシブな暮らしや家を長持ちさせるためにも重要だ。日を遮ったり、外壁への雨の影響を左右したりする。目隠しにもなれば、プロポーションへの影響もある。設計士というのは、いろいろと細かなことまで考えるのが習性になっている。だから設計士には何を気にしているのかを話しておいた方がいい。
要はトータルに考えてエネルギーを節約し、自然でありながら快適な状態を作れるようにしたい。
天然住宅では安全で快適な素材を使うことを前提に家づくりをする。ぜひ、そこからさらに先の暮らしを考えてみてほしい。長く使える住まいだからこそ、もっと先をイメージしてほしいと思う。
▲田中優の自宅から見える景色
ぼくは福島原発事故で東京を離れることにしたのだが、ちょうど現役を離れて家で過ごすことが多くなる時期で、多くの時間を家で過ごすとイメージした。そこで暮らしていくには室内と庭の広さを快適なレベルにし、生活に余分な費用が掛からない暮らしを選択した。これが功を奏したと思うのは、コロナ対策と巣籠りを余儀なくされた時だ。家にいるのが快適なのだ。しかも新たな情報を届けてもらう必要はなく、自分で探しに行けば良かった。
必要だと思い込んでいたテレビもラジオも新聞も手放し、毎月支払う支出を極力減らした。電気も水も自給し、電話も携帯だけに一本化した。インターネットだけが世界に開いた世界だ。実際、今年のお盆は妻子が実家に里帰りし、一人でずっと過ごす間、おカネも使わず外に出ることもなく過ごした。あったのは妻が出かける前に残していった簡単な食材だけだった。新鮮な野菜が買いたくて出掛けた以外は室内にいたままだ。それ以外にはおカネも使わなかった。それなのに充実した日常を過ごすことができる。
お金持ちの人たちがちやほやされる。しかしカネを稼ぎすぎると何だか憂鬱になるんじゃないか。それより慎ましくて豊かな時間が過ごせる方がいいのではないか。家はそのための場所だ。
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