住まいの耐用年数
先日、和気町への移住希望者と会ってきた。正しく言うとすでに和気町に住まいを購入し、建て替えかそのまま古民家に住むかを考えながら転入を予定している人だ。その家は築百年を超える家と、築20年ほどの小さな離れの家が付いていた。駅からは大分離れているが、もともとクルマなしでは暮らせないし、駅前のパーキングの駐車料金も一日100円だ。時間ではない。一日100円なのだ。だから無理に駅に近い場所を選ぶ必要はないのだ。
だが古い家の方は古くてガタがきている。建て替える以外に使いようがないようだ。小さい離れはリフォームして使う。上下水道はつながっていて、広い農地に加えて山林もついた敷地だ。身体が元気ならできることはたくさんある。
田舎では古い民家がたくさんある。田舎に住むとおカネがなくても暮らせる仕組みがある。その一つが長く使うことのできる家があることだ。都会では見た目の良い家が良いのだろうが、田舎ではあまり関係ない。とにかくまず住めればいいのだ。この長く住み続けるということが、経済的に大きなメリットになっている。都会では家の住み心地が良くなくなったら建て替えになるだろう。しかし田舎では敷地の余裕のある場所にさらに建て増しする。だから建て替えるほどの資金が掛からない。
さてその建物の耐用年数はどれほどのものなのだろうか。法律では法的耐用年数を決めている。上の図がそれを示したものだ。
大抵の一軒家は木造が多いだろうが、22年となっている。妥当な年数と思うかもしれない。家もまたファッションのように建て替えられていくのだから、もちろん古くなったと感じる年数だろうし、住むにもいろいろ変更したくなる点が多くあるだろうから。
私はこの考え方は嫌いだ。せっかく木を切り倒して建てたのに、次の木が育つまでの年数に満たないからだ。この年数では次の木がまだ育たない。つまり「持続的でない」のだ。だから天然住宅は長く使える住まいを目指している。最低でも次のスギが育つまでの50年は使われないと困る。だから耐用年数としてなるべく長くしたいのだ。法隆寺のように1300年とは言わない。それだけ持つのは人がその中で住まい、煮炊きするようにはなっていないからだ。
人が暮らすには台所や手洗いが必要だし、断熱されていて心地良く住まえなければならない。それを考えると少なくとも100年以上、できれば300年住み続けられる住まいを目指したい。当然、台所も風呂場もあり、トイレもついた住宅だ。
そう、住まいにとって水場のことを考えることが重要なのだ。できれば離れに分けて、水場を外に移すことができればいい。しかし敷地の狭い都会では、到底無理な話だ。だから水場とそこから発生する水蒸気の対処を考えなければならないのだ。田舎は水場を外に置くこともできるし、都会ほど狭い敷地内ですべてを満たすことを考えなくていい。防水や排水、こもる湿気の対処にも都会ほど困ることはない。もちろん広い敷地の中だから、そこで菜園をするぐらい難しくない。
だから田舎に住むと所得が低くても貧しくなく暮らせるのだろう。余白のような敷地が暮らしに余裕を与えているのだ。狭い我が家でも敷地は160坪ある。こんなことが当たり前にできる地方の暮らしが心地良いのだ。
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