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【田中 優】市民活動をはじめたきっかけ|先住民の村で知った事実と憤り

▲ 懐かしの一枚。
くりこまでの植林ツアー。いつでも誰よりも、楽しく森の中で手を動かす、自然が大好きな優さん。(2018年)

「学ぶことは、自分の考えを作ること」


前回のつづき

ドライブに嵌まっていたせいで、一年生の時は大学をさぼり続けていた。
そのまま辞めてしまうことも想定していたが、何という偶然だろう。大学から小包みが届いて、「大学の授業が学生運動により妨害され試験ができなくなったために中止になった。代替措置としてレポートを提出するように」と連絡が来たのだ。「これはチャンスだ」と思った。大学にまともに通っていない自分にとっては、試験期間すら知らない身の上だったのだから。
 
次の学年に入ってみると、提出したぼくのレポートはどれも優秀な成績が付けられていた。それは自分で課題を読み、関係する本も読んで自分なりの解釈と意見を書いたせいだろう。それは正にそれまで我流で学んで出来たことと同じだった。しかも学校の時のような規制もない。ぼく自身の「学ぶことは教わることではない、自分の考えを作ることだ」という考え方に一致していたからだ。

それに気を良くしたせいもあって二年生は多数の授業を取り、まじめに通うようになった。三年はさらに真面目に通い、教職課程、司書課程も取った。だから大学で取った単位の総数は、卒業に必要な単位数の倍に上った。それは気持ちのいいことだったが、自分で稼いだ金で学費を賄っているのだから、その費用対効果が高くなるのは純粋に嬉しかったのだ。

幸いだったのが初級公務員として勤めたのが高校だったことだ。ぼくなどより余程優秀な高校生の通う学校だったが、何よりその頃の学校職員の夏休みは一か月ほどあった。おかげで夏休みの間にあちこちへと出かけられたのだ。友人と共に東北・北海道へとドライブに出かけ、その地の感じさせてくれる雰囲気や自然も満喫することができた。

そうして日本各地を旅すると、自分がいかに自然が好きなのかに気づいた。
日本はとても珍しい国なのかもしれない。海に包まれていて、火山は確かに生きている自然の息吹を伝えてくれて、確かに自然災害もあるけれど、自然と共に人が生きていると感じることができる。

ヒトは相変わらず生きるのにやっとなのだが、「自然の節理」さえ守るならば、死ぬほど危険なことはあまりない。要は「自然の理」を守るならば、生きとし生きるものとして尊重されている気がするのだ。

「日本の援助」が世界の環境を壊している


卒業を目前にしてみると、自分は仕事ばかりしていて海外を知らないことが気にかかった。そこで海外のことに興味が湧いた。
その頃日本が海外の環境破壊に加担してることに気が付いた。特に日本の「援助」が関わって世界の熱帯雨林を破壊している事に気が付いた。
 
しかしぼくは海外に出たこともない。その頃には日本の環境NGOに関わって実情を知りたいという気持ちが大きくなった。そこでNGOの主宰する熱帯林の実情を見に行くツアーに参加して、見てこようと思った。

卒業と同時に初級公務員を辞めて、大卒程度の公務員試験を受けようと思っていた。人に勧められて受けた試験は、中級・上級、地方・国家ともすべて受かった。しかし公務員になって出世する気はまったくなく、とにかくそれまでの落第生である劣等感を排除するつもりしかなかった。だから誰にこびへつらうこともなく、自由に学んでいた。

そして休暇を利用して海外に出た。
 
初めての海外はマレーシアの熱帯林に暮らす先住民の村で、そこで生きることは自由に暮らすことだと思い知った。
 
ところがその人たちの土地に土足で入り込んで、彼らの思いすら考えずただ利益のために自然を壊してしまう先進国の人間たちの振る舞いに腹を立てた。彼らこそが森を利用しながらも守ってくれているのだ。そして彼らの自然に対するビヘイビアに感心した。それは外から学ぶというよりは、かつてからあった私たちの自然に対する畏敬の念によく似ていた。それを知ることでその生き方を尊重したいと思った。
 
私たちは自然の一部であって踏みにじっていいものではない。彼らの持っている「自然に対する畏敬の念」のようなものを活かせるように生きたいと思った。
 
その頃、国内で「ブラジル会議」という環境と開発会議が注目され、国内でも「ブラジル会議市民連絡会」というNGOが立ち上がった。それに関わると多くの会議の主宰に関わり、その後の会議の運営にも関わっていくことになる。(次回に続く)
 

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