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大切な仲間のこと|田中優コラム#163

土谷和之さん


 
彼は6月25日未明、亡くなってしまいました。43歳という若さでした。
実にぼくの歳よりも20歳も若い夭折でした。
 
NGOやNPOの活動に関わっていたら、知ってる人もいるかもしれない。彼は東大を卒業して三菱総研に勤め、NPOでの活動と二足の草鞋で活躍していました。まさにこれからという時の死でした。
 
彼と知り合ったのは、彼が、国際青年環境NGO  A SEED JAPANの理事を務めていたからでした。いつも強気なぼくと違って、彼はずっと控えめで慎重な人でした。
 
彼と飲んだ時に聞いたのですが、彼は川崎市に生まれて母子家庭で育ちながら、人より劣るような言われ方をするのが嫌で、頑張って東大を目指したそうだ。
同じ市内でも川一本隔てただけで劣悪な街の出身と見られ、彼の他にはそこから東大に入っていく人などいなかったそうです。彼はそんな中でも努力し、置かれた境遇だけで差別を受けるようなことが許せなくて、公平さを求めてNPOに参加したようでした。
 
彼はその信念のせいで、曲がったことが嫌いで、そこが気の合う仲間になっていたのだと思います。
 
思い起こしてみると、そこで天然住宅の井上さんとも出会ったのかもしれません。土谷さんは当時、A SEED JAPANのエコ貯金プロジェクトというチームの中心メンバーでした。
 
エコ貯金プロジェクトでは、“戦争や環境破壊に使われない、フェアなお金の流れをつくるために金融機関を選ぶ”という新しい貯金スタイル(=エコ貯金)を推進していて、井上さんも同じチームでした。
 
僕もお金の問題はずっと追いかけていて、江戸川の仲間たちと共に、「どうして郵貯がいけないの(1993年/北斗出版)」を出版した。翌年、市民による市民のための非営利バンク(未来バンク)も立ち上げた。
 
土谷さんや井上さんとは、「おカネで世界を変える30の方法」を一緒に出版したこともありました。
 

土谷さん(仲間内では、つっちーと呼ばれていた)は、きちんと問題があれば指摘し、対処しようと努力してきた人。年上のぼくからすると、その純粋さだけが心配だった。もっと図太く構えて、「ま、いいか」と言いながら闘い続けてほしかった。その「野太さ」を持つ前に亡くなってしまったのが悔しい。彼ならもっと大きな舞台で、野太く役割を果たせただろうに。
 
いつだったか、彼の母が痴呆症を患ってしまったと聞いた。つっちーは、ステージ4の膵臓がんだというのにその母の入所先などを全部手配してから亡くなったのだという。そんなに自分一人で全部抱えて解決しなくても良かったと思う。それより一日でも永く、生きていてほしかった。
 
つっちーに言い忘れたことがある。誰にでもキャパシティーというのがあって、自分に見合ったこと以上は抱えてはいけないんだ。だからもう少しいい加減なところがあっていいと思う。
 
忘れないよつっちー。君のいたこと、急すぎて残念でならないけど、忘れない人がいる間は生きているんだよ。だからまたいつか、会おう。
 

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