▲ 田中優、懐かしの一枚。
千葉県香取郡で「菌を大切にした酒造り」を行う寺田本家の24代目当主・寺田優さん(左)を迎えたセミナーにて。右はもあな保育園の関山隆一さん。(2015年)
自分一人だけで生きていかなくては
実のことを言うと、何がきっかけだったのかはあまり覚えていない。ただ中学に入った頃に母を亡くして、その時強く「自分一人だけで生きていかなきゃ行けない」と意識したことだけは覚えている。
そこから不良仲間との付き合いも始まったのだが、それ以上に印象に残っているのは頑固になったことだ。自分の頭で考えて、納得できないと記憶の中に覚えることができなくなった。だから成績は急降下し始め、特に不良仲間との付き合いが忙しくなった中二の頃には、低い順位をキープする状態になった。
ところが高校入試を意識し始めた中三になると、成績を上げる必要を感じて急上昇し始めた。
その頃の友人に登山の好きな奴がいて、付き合いで登ってみると、急に視界が開けた気がした。狭い地表にひしめき合って生きているのが馬鹿らしく思えた。
高い山に登って住んでいる町を見下ろすと、「なんと小さなことで悩んでいるのか」と馬鹿らしくなる。そのついでに余分なことを考えなくなる。そのせいか順位は急上昇し、突如優等生に仲間入りした。
それは点数のことだけで、素行は悪いし態度も改善しなかったから成績は上がらなかった。そんなことはお構いなしに自分の好きなように考えて結論を導く癖は身に付いたようだ。
当時「公害問題」も広がり始めていたし、高度成長期のせいで川が埋め立てられたり、森がどんどん切られて宅地になったりしていた。子どもの頃から虫採り(昆虫採集というか、採って飼うのが好きだった)ばかりしていた森が壊されることに、何も抵抗も行動もできない無力な自分に腹を立てていた。
学校の成績に期待できなかったぼくとしては、内申点が関係しない私立高校を目指した。そしてわずかしか受からない高校に奇跡的に合格した。ところがそこでもまた素行の悪い生徒と見做されて、心地よい場所ではなかった。近所の人の告げ口のせいもあって、そこもまた居られる場所ではなくなっていた。
特に体育教師とはそりが合わなかった。一方的に決めつけて断定するだけで、こちらの都合など知ろうともしない。ある日、父が旅行に行っている隙に退学届を出し、自分で働いて食べていこうと決めた。
しかし実際に勤めてみるとそこは「丁稚奉公」のような世界で、中卒のぼくに発言権はなく、ただ言われた通りのことをするだけの場だった。そんな日々だったから、友人との関係も切れていき、その内に一人だけで暮らすようになっていった。
退学、入学、退学を繰り返した高校時代。そして・・
そして町工場に勤めて夜間高校に通うようになる。夜間高校でも周囲から嫌われて孤立したぼくは、再び昼間の高校を受けて再々度入学したが、わずか一年ダブっているだけで友だちもできず、話題も全く重ならなかった。その高校も退学し、再び夜間高校に入って町工場に勤めた。
夜間高校は四年制だからこの時点で、三浪したのと同じ状態になっていた。その時やっと「大学入学資格検定」を知り、一年もの間迷っていた挙句やっと受験した。受けた科目はすべて合格して、一年取り戻して大学に通える資格を得た。
もしその時ぼくにもっと自信があって「大学入学資格検定」を全科目受けていたなら、さらにもう「一学年分」取り戻せただろう。しかし遅れていたぼくにはその勇気がなかったのだ。
「大学入学資格検定」は大学を受ける資格を得られるだけなので、大学は普通に受験して合格しなければならない。ぼくの周囲に同時に大学受験しようとする人などいないし、それどころか大学を目指そうとする人すらいない。いくら受験勉強したくても、受験勉強を考える者すらいない。
このまま流されるように暮らしたら受かるはずもないだろうし、第一勉強するモチベーションも生まれない。そこでぼくは運転免許証を取るための教習所に通うことにした。時間がなくなれば思い悩むことすらないと思ったからだ。
その頃どこからか聞いた高卒程度の初級公務員試験を受験して合格した。まだ夜間高校では二年生の身だ。運良く受かって地方公務員になったが、高校すら卒業していないのに高卒程度の扱いをしていいのかと少し揉めた。
試験を受けたのは机の前に座って仕事ができる立場になりたかったからだ。体力的なせいもある。アルバイトの仕事で重い荷物を投げられては受け取る作業をしたせいで、すっかり腰を痛めていて、時々立ち上がることすら困難になっていた。だから腰を痛めない仕事に就くことが必要だと思ったのだ。
想像していた通り、公務員の仕事は町工場よりは体力的に楽だし待遇も良かった。やっと給料も一人前に得られるようになった。
しかしそれでも昼間は仕事をしていたし、一応夜間高校にも通っていた。それに加えて教習所の勉強と実技が加わるのだ。時間がなくて分刻みのスケジュールになった。その焦燥感を利用して、勉強するためのモチベーションにしようと思った。それは成功だった。
一人きりの受験勉強も、時間のない焦燥感のおかげでやる気が出た。受験は「過去問題」を中心にして「試験によく出る○○」を利用して最短のコースを独学して進んだ。
やがて合格発表、希望していた大学に合格した。憧れの大学生活のはずだったのに、免許を取って安い中古車を買うと、ドライブにはまっていったのだ。
ドライブして知らない土地を走ると爽快な気分になる。なんだか初めて自由になれた気がした。(次回につづく)