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円高だの為替だのに振り回されない暮らし|田中優コラム #200

 (前話の続き)ぼくらの暮らしはこれからの「円安」や「エネルギー価格の高騰」に苦しまされる。海外の資源に頼って暮らし、その価格の中心にある日本自体が衰退期に入っているのだから致し方ないことだ。急に人口が増えたりも、老人が減って子どもが増えたりもしないのだから当然の帰結だ。
 
 しかし、そういった将来の不安を回避する暮らし方はあり得る。将来の不安を感じるのは国内にない資源や製品に頼って暮らそうとするからだ。国内の産物である自然資源を使い、国内の人々の労力に対して正当な対価を支払い、国内経済で生活するのであれば為替など関係ない。むしろ今まで貧しい国の人々を虐げて安く買い叩いてきたことが間違いだったのだ。ちゃんと正当な対価を払う社会に戻していけばいい。
 
 例えば今年の米価など安すぎるだろう。真面目に働いてくれている人たちに対する正当な対価を支払うべきだ。安いということはちっとも良いことではないのだ。
 
 為替や株価で儲けるようなことは社会への有用性が薄く、自分本位な行為ではないかと思う。それは、金儲けが先立ちすぎて、あまりに社会とかけ離れてしまっているように感じられる。
 
 ぼくの家の近くで仮想通貨のトレードで儲けている人がいた。その彼は真面目に働いている人たちに対して侮蔑的な発言ばかりしていた。ある年、大雨で彼の家の地域の小川が氾濫し、床下浸水に見舞われた。そして彼は去って行った。床下浸水の時は地域の人も手伝ったが、ぼくの知る限りそれに対して惜しむ声も聞こえなかった。地域の人たちも内心では、人々を蔑むように聞こえる彼の発言を快くは思っていなかったのだと思う。
 
 それに対して何も声を高く言おうとせず、毎日を勤勉に暮らして時々作物のお裾分けをしてくれる地域の人の方が愛されているのだと思う。彼は実業をしてくれているからだ。値段は安いかもしれないし金儲けにはならないが、実際に働いていて生産しているのだ。キツネのようにずるく立ち回ってカネを儲けていても、誰も彼を信じないのだ。
 
 ぼくは騙されやすいのだが、ある時知人のギャンブラーが景気の良い話をしていた。それを信じて友人に話したら、彼はぼくに「ギャンブラーの言うことは信じるな」と教えてくれた。ギャンブラーはうまくいったときの話を大きく言い、損した時のことは話もしないものだ。だから信じてはいけないのだと。その彼はその後大きな借金を抱えて離婚し、実家の家まで売り払い、どこへ行ったのかは知らないが消えていった。
 
 投資家はギャンブラーと同じ匂いがする。そのギャンブラーたちとは対局の所に、信じられる人たちは暮らしているようだ。しかし信頼できる人たちも儲けるのが下手なのではない。そのようなことに関わろうとしないだけだ。
 
 例えばこの粟田さんとの事業についても、助成金が得られるのではないかというような見方をする人もいるだろう。しかしぼくも粟田さんもその発想が嫌いだ。助成金だってその元になった費用には誰かの被害の上に成り立っている。例えば太陽光発電で得られるFIT(再生可能エネルギーの固定買取制度)にしたって、他の人(それもその多くが太陽光パネルでの収益を上げられない家庭)の電気料金から取られているものだ。
 
 もう一つ嫌なのは、助成金は人々をコントロールしようとするものだからだ。2019年まで、太陽光発電で電気を売るのにバッテリーをつけると買取価格が半値に下がった。「良い子は蓄電しないように」「自給なんか目指したらダメだよ」と指図するためだ。
 
 未来は指図によって作られるものではない。自発的な意思によって作られていくものだ。ぼくはもううんざりだ。新たな未来は私たち自身で作るものなのだと思う。
 
 
 

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